西東三鬼賞
◇ 西東三鬼について
◇ 歴代選考委員
◇ 西東三鬼賞受賞者・句
◇過去の大賞秀逸作品(第1回から第10回)(第11回から第20回)(第21回から第30回)
西東三鬼賞について
「西東三鬼(さいとうさんき)賞」は、西東三鬼の殊勲を称えるとともに、西東三鬼の俳句精神を受け継ぐ新たな才能を発掘し、津山を俳句文芸の新たな息吹の源にすべく平成5年創設されました。鬼才とも呼ばれた西東三鬼の故郷津山では毎年全国から広く作品を募集しています。
◇第32回西東三鬼賞 作品募集について
選考委員:寺井谷子 久保純夫 黒岩徳将
賞 :大賞「西東三鬼賞」 1名 賞状及び副賞50万円
秀逸 10名 賞状及び副賞 2万円
入賞 30名 賞状及び記念品
※著作権の扱い
入賞作品の著作権の一切の権利は西東三鬼賞委員会に帰属
募集要項:〇雑詠5句1組(未発表作品に限る)
※投句用紙(A4サイズ)に作品・住所・氏名(ふりがな)・俳号(ふりがな)・職業(または学校名・学年)
生年月日・電話番号を記入
※投句用紙はこちら[20KB Wordファイル]からプリントアウトしてご利用になれます。
投句用紙PDF版はこちら[51KB PDFファイル] から
※記入例はこちら[76KB PDFファイル]から
投 句 料:1組(5句まで)につき2,000円(定額小為替)
※何組でも応募可
応募締切:令和6年(2024年)10月31日(木曜日)当日消印有効
応募・問合せ先: 西東三鬼賞委員会事務局(津山市観光文化部文化課内)
〒708-8501 岡山県津山市山北520 東庁舎2階
電話 0868-32-2121
Fax 0868-32-2154
Eメール bunka@city.tsuyama.lg.jp
◇第31回西東三鬼賞入賞作品発表
第31回西東三鬼賞の選考結果についてをご覧ください。
西東三鬼について
新興俳句の旗手、鬼才と呼ばれた西東三鬼(本名=斉藤敬直)は市内南新座の生まれ。津山中学で学び、両親を失った18歳の時東京の長兄に引き取られました。その後歯科医になり、やがて患者に誘われて俳句を始めました。俳号、三鬼はサンキューをもじっているとも言われています。
33歳で俳句入門して、3年後の昭和11年、「水枕ガバリと寒い海がある」を発表。その鋭い感覚が俳壇を騒然とさせました。「十七文字の魔術師」の誕生であり、「ホトトギス」的伝統俳句から離れた新興俳句運動の記念碑でもありました。
戦時色が濃くなってきた時代、「京大俳句」「土上」などの主要メンバーが反戦的な俳句などを書いたことにより治安維持法違反として弾圧され、新興俳句運動は壊滅に至りました。その主要メンバーの中に三鬼も含まれており、執筆活動停止処分を命じられその後5年間句作と中止していました。
三鬼は、弾圧のショックを胸に東京の妻子を捨てて神戸に移住しました。
露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す
三鬼は、特高警察の刑事につけ狙われながら雌伏していました。NHKテレビドラマ「冬の桃」は、その時代の三鬼の随筆をドラマ化したもので、小林桂樹が三鬼に扮して好演、再放送されるほど好評でした。
俳句がすべてだった三鬼は、昭和17年、転居した神戸市内の西洋館(「三鬼館」と呼ばれる)の和室の畳まで売り払い、「天狼」創刊運動費にあてるほど、徹底していました。
終戦後、三鬼は俳句活動を開始、同志と現代俳句協会を創設、昭和23年、山口誓子を擁して俳誌「天狼」創刊の中心になりました。編集長になり、自分も「激浪」を主宰し、28年ぶりに帰郷しました。そして昭和37年、惜しまれつつ永眠しました。4月1日は西東忌、三鬼忌として歳時記に不滅のものとなっています。
平成4年4月5日、 三鬼句碑が生誕の地、津山市南新座に建てられました。三鬼の生家は平成2年に老朽化により取り壊されたので、同じ町内に句碑を建てることになったものです。刻まれた句は、
枯蓮のうごく時来てみなうごく
昭和21年、奈良・薬師寺で詠んだ作品で、代表作の一つです。
西東三鬼略年賦
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明治33年 | 5月15日、岡山県津山市南新座に生まれる。本名 斎藤敬直。 |
大正 4年 | 県立津山中学校に首席入学。7年上京して青山学院に編入学したが中退。 |
10年 | 日本歯科医専に進学する。 |
14年 | 日本歯科医専卒業後、シンガポールで歯科医院を開業。 |
昭和 3年 | 帰国して歯科医院開業、のち病院に勤め、8年俳句と出会う。 |
9年 | 同人誌「走馬燈」に加わり新興俳句運動に参加。 |
10年 | 「京大俳句」に加わり、13年、歯科医をやめる。 |
15年 | 「京大俳句」が反戦思想とみられ弾圧が始まる。有志と「天香」を創刊、第一句集「旗」刊行。 |
17年 | 東京から神戸に移り、特高警察の監視下、「三鬼館」に雌伏。 |
22年 | 石田波郷、神田秀夫らと現代俳句協会を創立。 |
23年 | 山口誓子を擁して「天狼」を創刊、編集長となる。第二句集「夜の桃」を刊行。「激浪」主宰。春、30年ぶりに帰郷する。「激浪」の発行所を上之町、室賀達亀方に置く。 |
26年 | 第三句集「今日」刊行。 |
27年 | 新主宰誌「断崖」を創刊。 |
31年 | 角川書店の「俳句」編集長になる。翌年辞職。 |
34年 | 津山での美作婦人大会で「幸福と不幸」と題して講演。 |
35年 | 俳壇あげて還暦祝賀会。 |
36年 | 俳人協会設立発起人になる。10月、胃癌の手術。 |
37年 | 第四句集「変身」を刊行。4月1日、永眠。61歳と11ヶ月だった。8日、角川書店で俳壇葬。5月27日、関西追悼祭。28日、遺骨を成道寺に納める。墓句樽銘は山口誓子筆。第2回俳人協会賞を贈られる。「断崖」は108号で終刊。 |
52年 | 随筆「神戸・続神戸・俳愚伝」を改題「冬の桃」(毎日新聞社刊)を出版し、NHKテレビドラマ化「冬の桃」が放送される。 |
53年 | 津山市文化協会が句碑「花冷えの城の石崖手で叩く」を建立。 |
平成 4年 | 4月5日、没後三十年、三鬼顕彰全国俳句大会を津山文化センターで開く。選者は稲畑汀子、飯田龍太、金子兜太、沢木欣一、鈴木六林男、三橋敏雄、山口誓子(50音順)。南新座の旧三鬼住居(日笠家)に「生誕の地句碑」=「枯蓮のうごく時来てみなうごく」を除幕する。三鬼回顧展を西東忌の4月1日から誕生日の5月15日まで津山郷土博物館で催す。遺墨(軸11、色紙26、短冊40点)写真、遺品などを展示。 |
歴代選考委員
佐藤鬼房(さとう おにふさ)
大正8年(1919)、岩手県釜石市生まれ。戦後、西東三鬼に師事。「小熊座」を主宰。句集「名もなき日夜」「夜の崖」「海溝」「地楡」「鳥食」「朝の日」「半迦座」「瀬頭」、俳論集「片葉の葦」ほか。昭和29年 第3回現代俳句協会賞受賞、平成2年 第5回詩歌文学館賞、平成5年 第27回蛇笏賞 受賞。平成14年1月19日、逝去。
三橋敏雄(みつはし としお )
大正9年(1920)、八王子市生まれ。渡辺白泉、西東三鬼に師事。句集「太古」「まぼろしの鱶」「真神」「鷓鴣」「巡礼」「長濤」「畳の上」「三橋敏雄全句集」「しだらでん」。昭和42年 第14回現代俳句協会賞、平成元年 第23回蛇笏賞受賞。平成13年12月1日、逝去。
鈴木六林男(すずき むりお)
大正8年(1919)、大阪生まれ。西東三鬼に師事。句集「荒天」「谷間の旗」「桜島」「国境」「王国」「後座」「悪霊」「雨の時代」「一九九九年九月」ほか。昭和32年 第6回現代俳句協会賞、昭和57年 大阪府文化藝術功労賞、平成7年 第29回蛇笏賞、平成14年 第2回現代俳句大賞、ほか受賞。
平成16年12月12日、逝去。
和田悟朗(わだ ごろう)
大正12年(1923)、兵庫生まれ。旧制第一高等学校、大阪帝国大学理学部卒。フルブライト研究員として二年間渡米。奈良女子大学名誉教授。現代俳句協会顧問。化学反応に関する研究者。俳誌「白燕」代表。句集「七十万年」「法隆寺伝承」「風車」など。昭和44年 第16回現代俳句協会賞受賞。平成4年 兵庫県文化賞受賞。平成19年 現代俳句大賞受賞。
平成27年2月23日、逝去。
小川国夫(おがわ くにお)
昭和2年(1926)、静岡生まれ。旧制静岡高校、東京大学文学部、パリ大学に在学した。小説のほか、紀行文・文学論・美術論など、多彩な著述。平成7年、「小川国夫全集」全14巻完結。芸術院賞、昭和61年 川端康成文学賞、平成4年 伊藤整文学賞、受賞。大阪芸術大学教授。
平成20年4月8日、逝去。
白石不舎(しらいし ふしゃ)
大正13年(1924)、津山市生まれ。西東三鬼に師事。遺言により津山に西東三鬼之墓を造立す。以後俳壇と無縁も上京後三橋敏雄らと交遊、俳諧滞らず、昭和61年帰郷と共に、西東三鬼顕彰を志す。
「綱」主宰。句集「作州」。西東三鬼賞委員会副委員長。
平成24年2月27日、逝去。
宗田安正 (そうだ やすまさ)
神奈川県横浜市在住。昭和5年(1930)、東京生まれ。早稲田大学文学部国文学科卒。少年期の結核療養中、「天狼」の山口誓子選「遠星集」に投句。「荒星」「環礁」に同人参加するも大学入学と共に俳句を離れる。昭和58年、晩年の寺山修司の企画による俳句同人誌「雷帝」創刊のため句作再開。句集『個室』『巨眼抄』『百塔』、評論『昭和の名句集を読む』『最後の一句』、編者『現代俳句集成全一巻』、監修『季別季語辞典』『俳句類語表現辞典』『詳解俳句古語辞典』など。平成27年度まで選考委員。 令和3年2月13日、逝去。
茨木和生(いばらき かずお)
奈良県生駒郡平群町在住。昭和14年(1939)、奈良県生駒郡郡山町(現大和郡山市)生まれ。大阪市立大学文学部卒。右城暮石・山口誓子に師事。平成3年『運河』主宰を右城暮石から継承。『紫薇』同人。『西の季語物語』で俳人協会評論賞、句集『往馬』で俳人協会賞、句集『薬喰』で俳句四季大賞。句集『真鳥』で詩歌文学館賞、句集『熊樫』で小野市詩歌文学賞受賞。公益社団法人俳人協会副会長。日本文藝家協会会員。大阪俳人クラブ顧問。奈良県俳句協会会長。令和2年度まで選考委員。
現選考委員
寺井谷子(てらい たにこ)
福岡県北九州市在住。昭和19年(1944)、福岡県小倉市(現北九州市)に横山白虹、房子の四女として生まれる。十歳より俳句を始める。明治大学文学部卒。昭和41年より「自鳴鐘」編集に携る。平成4年、第39回現代俳句協会賞受賞。同年北九州市民文化賞受賞。平成28年、第7回桂信子賞受賞。平成29年、第16回山本健吉賞受賞。現代俳句協会副会長。俳誌「自鳴鐘」主宰。「NHK俳壇」選者。日本文藝家協会会員。句集『笑窪』『以為』『未来』『人寰』『夏至の雨』。PHOTO×HAIKU『街・物語』。俳句エッセイ『四季を見る』『紙の碑』など。
大阪府阪南市在住。昭和24年(1949)、大阪府生まれ。立命館大学文学部卒。昭和46年「花曜」入会。鈴木六林男に師事。平成16年「花曜」終刊。18年同人誌「光芒」創刊。発行人。20年「光芒」終刊。25年個人誌「儒艮」創刊。昭和61年6人の会賞受賞。平成5年第42回現代俳句協会賞受賞。現代俳句協会副会長。関西現代俳句協会会長。句集『瑠璃薔薇館』『水渉記』『聖樹』『熊野集』『比翼連理』『光悦』『フォーシーズンズ++』『美しき死を真ん中の刹那あるいは永遠』『日本文化史観』『四照花亭日乗』『HIDEAWAY』『定点観測 ー櫻まみれー』『植物圖鑑』評論集『スワンの不安』など。
黒岩徳将(くろいわ とくまさ)
神奈川県在住。平成2年(1990)、兵庫県神戸市生まれ。「いつき」組所属。「街」同人。第5・6回石田波郷新人賞奨励賞。第3回俳句大学新人賞特別賞。共著に『新興俳句アンソロジー』『天の川銀河発電所』。現代俳句協会青年部部長。
西東三鬼賞受賞者・句
第1回 | やさしさうな鱶に囲まれ昼寝覚 | 浜田 喜夫 |
第2回 | 航空母艦稲妻のたび横たわる | 本多 脩 |
第3回 | 子を産みに身を隠しけり麦の秋 | 飯塚 風像 |
第4回 | 青空より跳ねて来たりし桜鯛 | 柿畑 文生 |
第5回 | 万緑やうつらうつらと赤子老い | 竹村 悦子 |
第6回 | 窓よりも大きな太陽夏休み | 中江 三青 |
第7回 | くちなわをいじめ尽くせし女学校 | 高橋 修宏 |
第8回 | 海津見に沈みし菊や菊日和 | 岡本 日出男 |
第9回 | 天の川隣人とくに恐ろしき | 阪野 美智子 |
第10回 | 銀河系の一点に坐し藷を食ふ | 横田 昭子 |
第11回 | プラトンの国を目指せり蟻の道 | 次井 義泰 |
第12回 | 頭の中に無数の定義木の実落つ | 今井 豊 |
第13回 | 吾と言う構造物に春一番 | 秋山 青松 |
第14回 | 脳と言う宇宙の終わり麦の秋 | 柏木 晃 |
第15回 | 曲りたる時間の外へ蝸牛 | 花谷 清 |
第16回 | ガソリンの臭いの中の立葵 | 谷川 すみれ |
第17回 | 惑星間会議ひまはり選出す | 安藤 辰彦 |
第18回 | 十二月みんなが通る自動ドア | 石井 冴 |
第19回 | 流れたきかたちに流れ春の水 | 澤本 三乗 |
第20回 | 人間は一つの仮説冬銀河 | 菊川 俊朗 |
第21回 | 水馬流るる時間跨ぎけり | 妹尾 武志 |
第22回 | 青き川祖国に流れ足の裏 | 淺井 愼平 |
第23回 | 虫老いて国歌斉唱していたり | 松井 真吾 |
第24回 | 美少女のひとりが男きんぽうげ | 東金 夢明 |
第25回 | 永眠の前の睡眠天の川 | 廣 波青 |
第26回 | 冷蔵庫流れたと姥わらへりき | 深町 明 |
第27回 | その白が欲しとつかめば蝶の死ぬ | 石橋 徹生 |
第28回 | マスクしてしづかな国となりにけり | 松田 佳子 |
第29回 | 転生のたびに手袋落とすなり | 荒井 大輔 |
第30回 | 回天や海鼠を切れば水溢る | 中村 猛虎 |
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