明治33(1900)年から昭和37(1962)年
津山市南新座に生まれる。
本名は齋藤敬直(さいとうけいちょく)。33歳の時、歯科医だった
三鬼は患者達のすすめで俳句を始める。この時から使用した
ペンネームが「三鬼」で「サンキュー」をもじったものといわれている。
35歳で代表作の「水枕ガバリと寒い海がある」を発表し新興俳句の
有力な作家として認められたが、戦争一色となる社会情勢の中で、
新興俳句は内容が革新的であることにより弾圧をうける。
終戦後、俳句を再開した三鬼は、近代文学としての俳句の可能性を
求め、俳句の復活を志した山口誓子とともに昭和23(1948年)「天狼」
を創刊するなど俳句の復興に尽力。また、敗戦直後の混乱した時代
に俳人が俳句で生計を立てていけるようにと現代俳句協会を創立。
句集として「旗」、「空港」、「夜の桃」、「今日」、「変身」がある。
<三鬼の主な句>
水枕ガバリと寒い海がある
算術の少年しのび泣けり夏
緑陰に三人の老婆わらへりき
昇降機しづかに雷の夜を昇る
中年や遠くみのれる夜の桃
おそるべき君らの乳房夏来る
広島や卵食ふ時口開く
大寒や転びて諸手つく悲しさ
暗く暑く大群集と花火待つ
冬に生ればつた遅すぎる早すぎる
秋の暮大魚の骨を海が引く
「花冷えの城の石崖手で叩く」津山文化センターにある三鬼の句碑
<西東三鬼賞>
津山の生んだ俳人・西東三鬼の業績を顕彰するとともに三鬼俳句の精神を受け継ぐ新しい感覚の
俳句文芸の振興を目指して平成5年に西東三鬼賞を創設し、広く作品を募集しています。
西東三鬼賞(大賞)1名 賞金50万円、秀逸10名 賞金2万円、佳作30名を表彰し、三鬼の命日
(4月1日)に近い日に表彰式を行っています。
また、表彰式の翌日には衆楽園において「曲水の宴俳句会」が開催されます。