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大正時代までの歴史年表

近世以前

4世紀ごろ

・美作各地に大型古墳築造(美和山古墳群)

和銅6年( 713) ・備前の国から、6郡を分離して美作の国とし、いまの総社に国府をおく
応保2年(1162) ・高野神社随身立像が制作される
元弘2年(1332) ・後醍醐天皇が隠岐遷幸の途中、美作院庄に滞在し、児島高徳が忠心を奉上
天文23年(1554) ・中山神社を拠点に土一揆
慶長8年(1603) ・森忠政が美作に入封。18万6,500石を領する
元和2年(1616) ・津山城が完成、城下町がつくられる
寛永10年(1633) ・美作の人口が検される。(士卒14,020人,神官・僧侶・山伏689人,農民167,302人,商民14,349人)
明暦3年(1675) ・森長継、城北に城の後園を営み、ご対面所と称す(衆楽園の始め)
元禄11年(1698) ・松平長矩が津山に入封。10万石を領する
享保11年(1726) ・津山藩内に、山中一揆おこる
天保9年(1838) ・津山藩が讃岐小豆島の6村を領する

明治

明治2年(1869) ・津山藩主松平慶倫が版籍を奉還し、藩知事となる
明治4年(1871)

・津山藩が廃され、津山県となる

・美作一円、北条県となる

明治8年(1875) ・津山の総人口が15,164人となる
明治9年(1876) ・北条県が岡山県に合併される
明治21年(1888) ・津山~岡山間の電信が開通
明治22年(1889) ・町村制による津山町が発足
明治28年(1895) ・津山中学校が開校
明治31年(1898) ・中国鉄道の津山口~岡山間が開通 
明治36年(1903) ・津山高等女学校が開校
明治43年(1910) ・津山電気会社が操業開始(点燈戸数1,442戸)

大正

大正4年(1915) ・津山高等裁縫学校(現美作高校)が開校
大正9年(1920) ・第1回国勢調査を実施。人口29,905人
大正10年(1921) ・津山町立津山商業高等学校(現津山商業高校)が開校
大正12年(1923) ・作備線の津山~追分間、中鉄の津山口~津山間が開通
大正14年(1925) ・国勢調査を実施。人口31,576人(第2回)
大正15年(1926) ・津山基督教図書館が開館