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作州城東屋敷

作州城東屋敷~町家のモデルハウス~(津山市中之町19番)
 津山城下町の城東界隈に軒を連ねていた町家の特徴を取り入れて再現した町家複合施設です。入口の「跳ね上げ戸」をくぐると、土間、上には物置として使われた「つし二階」、奥には板敷きの「ミセノマ」や座敷の「オクノマ」があります。また北側には大広間が併設されています。
 江戸時代、城東地区の出雲往来沿いは商人などの町人地として初代藩主・森忠政により整備され、この場所は、町家と武家屋敷が建っていました。明治時代以降、小学校や青年学校、保育園などが置かれ、長く教育の場として親しまれていました。(平成5年竣工


 

関連情報

 ・作州城東屋敷リニューアル~鉄道模型の小さな旅へ出発!~(令和5年4月末オープン予定)
 ・作州城東屋敷を活用して観光振興業務を行うテナント事業者選定 に係るプロポーザルの審査結果の公表について(令和5年3月17日)
 作州城東屋敷を活用して観光振興業務を行うテナント事業者選定 に係るプロポーザルの実施について(終了
 ・作州城東屋敷 改修に伴う休館について(令和4年12月27日掲載)

作州城東屋敷に見る城東地区の町家の特徴

 作州城東屋敷は、この地区の町家の特徴が再現された、いわば「町家のモデルハウス」となっています。
切妻平入桟瓦葺き    切妻(きりづま)屋根とは、棟の左右に四角形の斜面を取付けた形状の屋根のこと。平側に入り口を設置するものを「平入り(ひらいり)」、横から見て屋根が八の字のように見える面(妻側)に入り口を設置するものを「妻入り(つまいり)」という。
厨子二階(つしにかい)  江戸時代に建築された町家の多くは主屋の土間の上に厨子(つし)を持つ。厨子は基本的に物置であるが、使用人等の居室とする場合もある。
主屋の間取り   町家の間取りは片側に部屋を並べて、部屋の反対側はトオリニワとして表から奥に抜ける土間となる。部屋側は道路に面した場所をマエニワとし、奥に向かって板張りのミセノマ、畳敷きのオクノマと続く。
跳ね上げ大戸  江戸時代の町家の出入り口には大きく開口部が取れる跳ね上げ大戸が広く用いられた。日中は大戸を跳ね上げて店を開き、夜は防犯の為に大戸を下ろしてくぐり戸で出入りをした。
胴差梁
(どうさしばり)
 町家の入り口を半間くらい入った位置に桁方向(往来と平行)に間口いっぱいに1本の木で通す胴差梁が架けられている。胴差梁はマエニワ上部の見どころであり、しばしば緩く湾曲した材が用いられる。
出格子  出格子は江戸時代末から昭和初期にかけて使用され、城東の町並景観を特徴づける要素のひとつである。格子の桟の仕様によって「仕舞屋(しもたや)格子」「糸屋格子」などの種類がある。
あらし窓  無双窓(むそうまど)ともいう。たて板をその幅だけ間をあけて打ちつけた連子(れんじ)二つを前後に並べ,外側を固定し,内側の連子を左右に移動可能とした。板のすき間を開閉して,採光,通風,眺望の調整ができる。
なまこ壁  二階の腰壁部分を塗り込め、四角形や三角形の瓦を貼り、目地部分を漆喰で盛り上げておさえたもの。
袖壁(そでかべ)  1階屋根と2階屋根の間に張り出した防火壁で、平側(城東屋敷の場合は往来に面した側)の両端に設けられることが多い。「うだつ」と違い、袖壁上部に独立した屋根を持たない。
 
 
 

作州城東屋敷界隈の歴史~城東地区の学び舎として親しまれた場所~

 作州城東屋敷の建つ土地は江戸時代は町人地で、町家が立っていました。明治時代には、小学校となり、その後も教育施設や保育園、公民館などがある場所として城東地区住民に親しまれてきました。現在も地域の集会所として地域コミュニティの拠点施設となっています。
ことがら
1604年(慶長9年) 津山城及び城下町建設開始
1625年(寛永2年)
 
中之町・西新町・東新町が津山城下町に編入される。
1697年(元禄10年) 町人町家 西から 桜屋七郎兵衛(間口7間、奥行14間半)
         大笹屋利兵衛(間口3間半、奥行14間)
1781~1789年頃
(天明年間)
町人町家 西から 西屋治左ヱ門(間口7間、奥行14間半)
         山西屋□□□(間口3間、奥行14間半)
1871年(明治4年) 7月、廃藩置県により津山藩から津山県になる。
10月、津山県が周辺地区と合併し、北条県となる。
1875年(明治8年) 日新小学校新築落成(現在の中之町19)
1887年(明治20年) 日新小学校が尋常津山小学校第2分校となる。
1889年(明治22年) 町村制施行され、津山城下は津山町と津山東町になる。
第2分校は尋常津山東小学校になる。
1900年(明治33年) 津山町と津山東町合併し、津山町になる。
尋常津山東小学校は、津山尋常小学校分教場となる。
1903年(明治36年) 分教場が廃止となる。
1931年(昭和6年) 分教場跡を利用して津山工芸専修学校設立(後に津山青年学校工芸部)。
1950年(昭和25年) 青年学校跡に城東保育園設置。
1960年(昭和35年) 敷地南側に派出所設置。
不明 派出所廃止、建物を城東中央会館として活用。
1981年(昭和56年) 城東保育園廃止、城東中央公園となる。
1993年(平成5年) 作州城東屋敷建設、開館。
2023年(令和5年) 4月、リニューアルオープン(予定)。

昭和50年代の作州城東屋敷付近の姿
   
作州城東屋敷が建設される以前は西から消防機庫、城東中央公園、城東公民館が並んでいました。

現在の作州城東屋敷付近の姿
    
現在では消防機庫は新しく建て替わり、公園と公民館の敷地に作州城東屋敷が建設されました。

この情報に関する問い合わせ先

津山市 歴史まちづくり推進室
  • 直通電話0868-32-7000
  • ファックス0868-32-2154
  • 〒708-8501岡山県津山市山北520 東庁舎2階
  • Eメールmachizukuri@city.tsuyama.lg.jp