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津山城について

津山城について

  

   津山城は、森忠政が慶長9年(1604)に築城にかかり、元和2年(1616)の完成まで13年の歳月を要しました。
 城主は森氏(4代)、松平氏(9代)と続き明治維新を迎えています。その後明治4年(1871)には廃藩置県、同6年には廃城令、同7年には天守、屋敷、櫓、門など建物はすべて取り壊され石垣のみが残りました。
 城跡は一度荒れ放題となりますが、明治33年(1900)には鶴山公園として再出発、昭和38年(1963)には国指定重要文化財(史跡)に指定されました。
   今年平成16年(2004)は、森忠政の築城開始から400年目を迎えます。この記念すべき年を迎えることを契機として、津山市では、津山城をより深く知るために資料調査や発掘調査を行い、また、後世に よりよい状態で伝えてゆくために、石垣をはじめとする遺構の保存、重要な建造物の復元など、各種の保存整備事業を行っています。

 

津山城関連年表
西暦
元号
年月
事     項
1441
嘉吉元
12月
山名忠政、鶴山城を築く。
1603
慶長8
2月
森忠政、美作全域を領する。
3月
忠政、美作に入封し院庄に拠る。
4月
院庄に築城を始める。重臣井戸宇右衛門が殺される。
1604
慶長9
忠政は鶴山を津山と改め、築城に着手。
11月
城下総鎮守徳守神社の社殿を造営する。
1608
慶長13
9月
鶴山八幡宮を山北村八子に遷祀する。
10月
各務四郎兵衛、小沢彦八、細野佐兵衛の3重臣が大谷村石山で争いを起こす。
11月
大坂冬の陣、忠政は軍兵を率いて出陣し、12月帰城。
1615
元和元
5月
大坂夏の陣、忠政出陣する。帰城後鉄楯一双を徳守神社に納める。
閏6月
幕府は「一国一城令」を定める。
7月
幕府は武家諸法度制定。
1616
元和2
3月
津山築城が終わる。
1657
明暦3
 
この頃長継は山北村に城の後園を築造し、御対面所とする。
1683
天和3
 
城の東麓に稲荷社(宮川新宮)を移す。
1697
元禄10
6月
森長成が江戸で病没する。
7月
長成の後嗣となった衆利が江戸出府の途中病を得る。
8月
幕府は森氏に除封を命ずる(2日)。
10月
幕府の使将が美作に入国し、津山城と領国を受け取る(11日)。
広島藩主浅野綱長が幕命によって津山城番を勤める。
幕府代官が津山に駐在して美作の民政を担当。
※森氏の隠居長継は再び家を興し備中西江原に封ぜられて2万石を領する。ついで末子長直がこれを相続し,のち播磨赤穂に封ぜられる。
また支藩長治は備中新見、同長俊は播磨三日月に封ぜられる。
1698
元禄11
1月
松平長矩(後宣富)が津山に封ぜられ、美作のうち10万石を領する。
5月
津山城及び領知を受け取る。
1809
文化6
1月
津山城本丸焼失。
1810
文化7
 
本丸建物群再建。
1866
慶応3
10月
将軍慶喜が大政奉還を上表する。
1868
慶応4
9月
明治と改元。
1869
明治2
2月
津山藩主が版籍奉還を上表。
6月
諸藩の版籍奉還を許し、藩知事を任命。
1871
明治4
7月
廃藩置県の詔書津山藩は津山県となる。
11月
美作一円が北条県となる。
1872
明治5
2月
北条県、美作諸県の管轄事項の引き継ぎ完了。
1873
明治6
6月
津山城郭建造物の売却を布告する。
10月
再度、津山城郭建造物の入札を公告する。
1874
明治7
津山城の取り壊し始まる(翌年3月完了)。
1877
明治10
3月
津山城本丸跡に旧藩士により鶴山城址碑が建てられる。
1885
明治18
2月
衆楽園を岡山県津山公園とし、郡長の所管とする。
1900
明治33
4月
津山町と津山東町が合併し、津山町成立鶴山城跡を町営の鶴山公園とする。
1903
明治36
12月
元修道館文学所を鶴山公園内に移し、鶴山館とする。
1904
明治37
2月
日露戦争ロシアに宣戦布告。
1907
明治40
4月
美作5郡の戦没将士忠魂碑を鶴山公園内に建てる。
1963
昭和38
9月
津山城跡、国指定重要文化財(史跡)に指定。
1966
昭和41
 
二の丸東側石垣修復工事
1974
昭和49
 
粟積櫓跡石垣修復工事
1980
昭和55
 
冠木門石垣修復工事
1988
昭和63
 
「史跡津山城保存整備基本計画」策定
1989
平成元
 
東南隅石垣修復工事(翌年完了),空中架設物の地下埋設工事,石垣ライトアップ工事に伴う確認調査及び工事
1991
平成3
 
トイレ水洗化工事,本丸の民家・茶店撤去、七番門検出
1996
平成8
2月
史跡津山城跡整備委員会(第1回)開催
      本丸入口部分発掘調査
1998
平成10
3月
第5回整備委員会開催史跡津山城跡保存整備計画策定
4月
津山市教育委員会文化課に津山城整備推進係を新設
  「備中櫓」遺存状況、規模・構造確認調査
1999
平成11
 
「津山城 資料編」刊行
  「備中櫓復元整備基本計画」策定
  本丸表御殿広間、大書院、小書院の東側、備中櫓跡発掘調査
2000
平成12
 
「津山城 資料編2」刊行
  管理道設置工事
  「史跡津山城跡備中櫓基本設計」策定
  本丸表御殿西側、備中櫓北側発掘調査
2001
平成13
 
五番門南石垣修復工事完工
6月
文化庁から正式に備中櫓復元についての現状変更許可
  本丸御殿西側、築城期石垣発掘調査
2002
平成14
1月
備中櫓復元整備工事着工
  「津山城 資料編 解説」刊行
2003
平成15
 
備中櫓復元整備工事(平成16年度末完成)

 

1 天守 五重五階、地下一階
2 六番門 櫓門
多門櫓 多聞櫓、二箇所二重櫓
七番門 櫓門
長櫓 二重櫓
八番門 櫓門
九番門 (土塀潜門)
五番門 (高麗門)
備中櫓 二重櫓
10 長局 多聞櫓
11 十番門 (土塀潜門)
12 到来櫓 二重櫓
13 台処門 櫓門
14 使者櫓 平櫓
15 表鉄門 櫓門及び続多聞櫓
16 包櫓 平櫓
17 十四番門 櫓門
18 太鼓櫓 二重櫓
19 瓦櫓 平櫓
20 走家 土塀付属の平家
21 走家 土塀付属の平家
22 矢切櫓 (二重櫓)
23 月見櫓 平櫓
24 十一番門 櫓門
25 十二番門 土塀潜門
26 粟積櫓 二重櫓

 

27 大戸櫓 二重櫓
28 長屋櫓 多聞櫓
29 桜門 櫓門
30 裏鉄門 櫓門
31 腰巻櫓 平櫓
32 埋門 櫓門
33 七間廊下 多聞櫓
34 十三番門 高麗門
35 涼櫓 二重櫓
36 裏中門 櫓門
37 小姓櫓 二重櫓
38 色付櫓 二重櫓
39 麦櫓 平櫓
40 長屋 多聞櫓
41 荒和布櫓 二重櫓
42 道明寺櫓 二重櫓
43 干飯櫓 平櫓
44 裏下門 櫓門
45 紙櫓 二重櫓
46 池上門 (土塀潜門)
47 番所 平櫓
48 格子門 高麗門
49 肘櫓 二重櫓
50 十九番門 (潜門)
51 腰掛 (平家)
52 白土櫓 二重櫓
53 塩櫓 二重櫓
54 昇櫓 二重櫓
55 長柄櫓 二重櫓
56 十八番門 櫓門
57 二の丸台所 長屋
58 十七番門 (潜門)
59 鉄砲櫓 多聞櫓
60 四足門 薬医門
61 毛櫓 平櫓
62 切手門 櫓門
63 弓櫓 多聞櫓
64 辰巳櫓 二重櫓
65 十六番門 櫓門
66 玉櫓 二重櫓
67 塩蔵 土蔵
68 見付櫓 二重櫓
69 表中門 櫓門
70 長屋門 長屋門
71 火縄蔵 多聞櫓
72 煙硝埋蔵 (土塁で囲んだ蔵)
73 番所 平家
74 冠木門 (高麗門)
75 二階門 櫓門
76 長屋 多聞櫓
 

津山城だよりを刊行しています

 史跡津山城跡の整備状況や、発掘調査の成果などを皆さんに知っていただくため、「津山城だより」を概ね年1回、刊行しています。

 「津山城だより」はこちらからご覧ください

この情報に関する問い合わせ先

津山市 文化課(弥生の里文化財センター)
  • 直通電話0868-24-8413
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