津山から出た赤穂義士
神崎与五郎則休(かんざきよごろうのりやす)
赤穂義士のひとり神崎与五郎は、代々津山森家に仕えた武士の家に生まれ、その少年時代を津山の城下町で過ごした。幼い頃から文武に秀でた子として知られていたらしく、様々な逸話が伝えられている。津山森家の改易の後、赤穂浅野家に召し抱えられ、五両三人扶持と役料五石が与えられていた。元禄十五年の吉良邸討ち入りでは表門に配され、討ち入りを成し遂げた後、元禄十六年二月、預けられていた水野忠之邸で自刃した。三十八歳。
茅野和助常成(かやのわすけつねなり)
津山市河辺に松風庵という観音堂がある。遙か天平の頃からの由緒を持つというこの観音堂で、ひたすら祈念し続ける男がいた。故あって森家を退いた茅野武助、後の赤穂義士茅野和助の父である。和助は、この父の下で兵書軍学を学び、赤穂浅野家に五両三人扶持と役料五石で仕官していた。元禄十五年の吉良邸討ち入りの時には、裏門から攻め入り、翌元禄十六年二月、神崎与五郎と同じく、水野忠之邸で自刃した。三十七歳。

<茅野和助の碑(河辺)>
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登録日: 2006年7月27日 / 更新日: 2008年5月16日



