西東三鬼賞について
平成4年4月5日、三鬼顕彰全国俳句大会が津山文化センターで開かれました。
超結社で企画されたこの俳句大会は、稲畑汀子(「ホトトギス」主宰。日本伝統俳句協会長)、飯田龍太(「雲母」主宰)、金子兜太(「海程」主宰、現代俳句協会長)、澤木欣一(「風」主宰、俳人協会長)、鈴木六林男(「花曜」主宰、三鬼門)、三橋敏雄(「面」同人、三鬼門)、山口誓子(「天狼」主宰)という豪華な顔ぶれの選者[※敬称略、肩書などは当時のもの]で作品を募集したところ。全国から3668句の投句があり、各選者に特選1、入選30句を選んでもらいました。
各選者の特選句は次のとおりでした。(選者五十音順)
■稲畑 汀子 選 我に似し霜焼の手を包みやる 早瀬 季子 (倉敷)
■飯田 龍太 選 三鬼忌や今日を盛りの山桜 和田 富子 (奈良)
■金子 兜太 選 捕虜と言う外套長き長き列 葉畑 蝶児 (三原)
■澤木 欣一 選 鏡餅罅れ漁夫は皆若人(わか)し 鈴木 金市 (焼津)
■鈴木六林男 選 なでられて鶏頭種をこぼしけり 中尾 初子 (津山)
■三橋 敏雄 選 人間のみ戦死過労死春の霜 玉井 吉秋 (東京)
■山口 誓子 選 数多飛ぶ綿虫個々に命あり 丹羽きよし (四日市)
記念俳句大会の翌年、平成5年に、三鬼の業績を顕彰するとともに、三鬼の俳句精神を受け継ぐ新たな才能を発掘し、三鬼を生んだ街、津山を再び俳句文芸の新たな息吹の源としようと「西東三鬼賞」が創設されました。
三鬼門の佐藤鬼房、鈴木六林男、三橋敏雄の3氏を選考委員に迎え、津山市教育長を委員長として、「西東三鬼賞委員会」(事務局:津山市教育委員会文化課)を設立し、投句料と津山市からの助成により運営する方式としました。賞の趣旨にもとづき、なるべく多くの作品を求め、新しい才能を発掘したいとの思いから、投句料は3句一組で1000円と、低く設定しました。賞は、大賞の「西東三鬼賞」1句、秀逸10句、佳作30句とし、西東三鬼賞受賞者には副賞として50万円を贈呈することとしました。
平成13年度には第9回を迎えましたが、この回の選考を目前にした平成13年12月に三橋敏雄氏が、平成14年1月には佐藤鬼房氏が相次いで急逝されました。第10回以降も継続するか否かは、この時点ではまったく不透明でしたので、急きょ、鈴木六林男氏と、同じく三鬼門で三鬼賞委員会副委員長を勤める白石哲氏の2名が、選考に当りました。
三鬼賞の重要さは、運営に携わる関係団体すべてが認識していましたので、第9回選考終了後、第10回以降も募集を継続することが決定されましたが、新たな選考委員の選出は難航しました。結果的には、鈴木六林男氏の推挙に基づき作家の小川国夫氏と現代俳句協会副会長の和田悟朗氏の2名を選考委員に迎えることになりました。
この新たな選考体制で、第10回、第11回の選考を行ないましたが、平成16年末、第12回の選考を前に鈴木六林男氏が逝去されました。また、小川国夫氏がご事情により選考を辞退されたため、第12回は、和田悟朗氏と白石哲(不舎)氏の2名で選考を実施しました。第13回から和田悟朗氏と新たに宗田安正氏、寺井谷子氏を選考委員にお迎えし、西東三鬼賞の募集を行っています。
西東三鬼賞の創設
◇第19回西東三鬼賞募集中 ※募集終了しました。
新興俳句の旗手、鬼才と呼ばれた西東三鬼=本名・斉藤敬直=(1900-1962)は南新座の生まれ。津山中学に学び、両親を失った十八歳で東京の長兄に引き取られ、歯科医になる。患者に誘われて俳句を始めた。俳号、三鬼はサンキューのもじりだが、波乱の人生を送る彼のぺーソスとユーモアが潜んでいるような気がする。
33歳で俳句入門して3年後の昭和11年、「水枕ガバリと寒い海がある」を発表、その鋭い感覚が俳壇を騒然とさせるのである。「十七文字の魔術師」の誕生であり、「ホトトギス」的伝統俳句から離れた新興俳句運動の記念碑でもあった。
戦争への道を急ぐ日本。三鬼の「昇降機しづかに雷の夜を昇る」が世情不安をあおるとして弾圧を受け、無季を容認した新興俳句は三鬼が幕を引く結果になる。
三鬼は、弾圧のショックを胸に東京の妻子を捨てて神戸に移り住む
露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す
そんなスナップのある安ホテルで、特高警察の刑事につけ狙われながら雌伏する。NHKテレビドラマ「冬の桃」は、その時代の三鬼の随筆をドラマ化したもので、小林桂樹が三鬼に扮して好演、再放送されるほど好評だった。
俳句がすべてだった三鬼は、昭和17年、転居した神戸市内の西洋館(「三鬼館」と呼ばれる)の和室の畳まで売り払い、「天狼」創刊運動費にあてるほど徹底していた。
終戦。三鬼は俳句活動を開始、同志と現代俳句協会を創設、昭和23年、山口誓子を擁して俳誌「天狼」創刊の中心になった。編集長になり、自分も「激浪」を主宰し、昭和28年ぶりに帰郷する。そして昭和37年、惜しまれつつ永眠する。空前絶後の俳壇葬で三鬼を見送った。4月1日は西東忌、三鬼忌として歳時記に不滅である。
●平成4年4月5日、三鬼顕彰全国俳句大会が津山文化センターで開かれた。その朝、記念事業の三鬼句碑が生誕の地、南新座に市文化協会によって建てられ、三鬼の次男、斎藤直樹さんと孫の有哉君の手で除幕された。句は、
枯蓮のうごく時来てみなうごく。
昭和21年、奈良・薬師寺で詠んだ作品で、代表作の一つである。苅田龍氏所蔵の色紙の文字を拡大した。「生誕の地」の標柱を立てたが、三鬼の生家は近所にあった。文化協会は標識を立てていたが、老朽がひどく家主が平成二年、取り壊した。旧門下たちが惜しみ、三鬼が移り住んだ同町内の日笠頼助氏宅に句碑を建てることになったのである。
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西東三鬼略年賦
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| 明治33年 | 5月15日、岡山県津山市南新座に生まれる。本名 斎藤敬直。 |
| 大正 4年 | 県立津山中学校に首席入学。7年上京して青山学院に編入学したが中退。 |
| 10年 | 日本歯科医専に進学する。 |
| 14年 | 卒菜後、シンガポールで歯科医院を開業。 |
| 昭和 3年 | 帰国して歯科医院開業、のち病院に勤め、8年俳句と出会う。 |
| 9年 | 同人誌「走馬燈」に加わり新興俳句運動に参加。 |
| 10年 | 「京大俳句」に加わり、13年、歯科医をやめる。 |
| 15年 | 「京大俳句」が反戦思想とみられ弾圧が始まる。有志と「天香」を創刊、第一句集「旗」刊行。 |
| 17年 | 東京から神戸に移り、特高警察の監視下、「三鬼館」に雌伏。 |
| 22年 | 石田波郷、神田秀夫らと現代俳句協会を創立。 |
| 23年 | 山口誓子を擁して「天狼」を創刊、編集長となる。第二句集「夜の桃」を刊行。「激浪」主宰。春、30年ぶりに帰郷する。「激浪」の発行所を上之町、室賀達亀方に置く。 |
| 26年 | 第三句集「今日」刊行。 |
| 27年 | 新主宰誌「断崖」を創刊。 |
| 31年 | 角川書店の「俳句」編集長になる。翌年辞職。 |
| 34年 | 津山での美作婦人大会で「幸福と不幸」と題して講演。 |
| 35年 | 俳壇あげて還暦祝賀会。 |
| 36年 | 俳人協会設立発起人になる。10月、胃癌の手術。 |
| 37年 | 第四句集「変身」を刊行。4月1日、永眠。61歳と11ヶ月だった。8日、角川書店で俳壇葬。5月27日、関西追悼祭。28日、遺骨を成道寺に納める。墓句樽銘は山口誓子筆。第二回俳人協会賞を贈られる。「断崖」は108号で終刊。 |
| 52年 | 随筆「神戸・続神戸・俳愚伝」を改題「冬の桃」(毎日新聞社刊)を出版し、NHKテレビドラマ化「冬の桃」が放送される。 |
| 53年 | 津山市文化協会が句碑「花冷えの城の石崖手で叩く」を建立。 |
| 平成 4年 | 4月5日、没後三十年、三鬼顕彰全国俳句大会を津山文化センターで開く。選者は稲畑汀子、飯田龍太、金子兜太、沢木欣一、鈴木六林男、三橋敏雄、山口誓子(50音順)。南新座の旧三鬼住居(日笠家)に「生誕の地句碑」=「枯蓮のうごく時来てみなうごく」を除幕する。三鬼回顧展を西東忌の4月1日から誕生日の5月15日まで津山郷土博物館で催す。遺墨(軸11、色紙26、短冊40点)写真、遺品などを展示。 |
佐藤鬼房(さとう おにふさ)
大正8年(1919)、岩手県釜石市生まれ。戦後、西東三鬼に師事。「小熊座」を主宰。句集「名もなき日夜」「夜の崖」「海溝」「地楡」「鳥食」「朝の日」「半迦座」「瀬頭」、俳論集「片葉の葦」ほか。昭和29年 第3回現代俳句協会賞受賞、平成2年 第5回詩歌文学館賞、平成5年 第27回蛇笏賞 受賞。平成14年1月19日、逝去。
三橋敏雄(みつはし としお)
大正9年(1920)、八王子市生まれ。渡辺白泉、西東三鬼に師事。句集「太古」「まぼろしの鱶」「真神」「鷓鴣」「巡礼」「長濤」「畳の上」「三橋敏雄全句集」「しだらでん」。昭和42年 第14回現代俳句協会賞、平成元年 第23回蛇笏賞受賞。平成13年12月1日、逝去。
鈴木六林男(すずき むりお)
大正8年(1919)、大阪生まれ。西東三鬼に師事。句集「荒天」「谷間の旗」「桜島」「国境」「王国」「後座」「悪霊」「雨の時代」「一九九九年九月」ほか。昭和32年 第6回現代俳句協会賞、昭和57年 大阪府文化藝術功労賞、平成7年 第29回蛇笏賞、平成14年 第2回現代俳句大賞、ほか受賞。
平成16年12月12日、逝去。
和田悟朗(わだ ごろう)
奈良県生駒市在住。大正12年(1923)、兵庫生まれ。旧制第一高等学校、大阪帝国大学理学部卒。フルブライト研究員として二年間渡米。奈良女子大学名誉教授。化学反応に関する研究者。俳誌「白燕」代表。俳句関係著書10冊。昭和44年 第16回現代俳句協会賞受賞。現代俳句協会副会長。
小川国夫(おがわ くにお)
静岡県藤枝市在住。昭和2年(1926)、静岡生まれ。旧制静岡高校、東京大学文学部、パリ大学に在学した。小説のほか、紀行文・文学論・美術論など、多彩な著述。平成7年、「小川国夫全集」全14巻完結。芸術院賞、昭和61年 川端康成文学賞、平成4年 伊藤整文学賞、受賞。大阪芸術大学教授。
白石不舎(しらいし ふしゃ)
岡山県津山市在住。大正13年(1924)、津山市生まれ。西東三鬼に師事。遺言により津山に西東三鬼之墓を造立す。以後俳壇と無縁も上京後三橋敏雄らと交遊、俳諧滞らず、昭和61年帰郷と共に、西東三鬼顕彰を志す。
現在「綱」主宰。句集「作州」。西東三鬼賞委員会副委員長 。
宗田安正(そうだ やすまさ)
神奈川県横浜市在住。昭和5年(1930)、東京生まれ。早稲田大学文学部国文学科卒。少年期の結核療養中、「天狼」の山口誓子選「遠星集」に投句。「荒星」「環礁」に同人参加するも大学入学と共に俳句を離れる。三十余年後の1983年、晩年の寺山修司の呼びかけによる俳句同人誌「雷帝」創刊のため句作再開。句集『個室』『巨眼抄』『百塔』、評論『昭和の名句集を読む』、編者『現代俳句集成全一巻』、監修『季別季語辞典』『俳句類語表現辞典』など。
寺井谷子(てらい たにこ)
福岡県北九州市在住。昭和19年(1944)、福岡県小倉市(現北九州市)に横山白虹、房子の四女として生まれる。十歳より俳句を始める。明治大学文学部卒。昭和41年より「自鳴鐘」編集に携る。平成4年第39回現代俳句協会賞受賞、同年北九州市民文化賞受賞。現代俳句協会理事。福岡県現代俳句協会会長。俳誌「自鳴鐘」副主宰。「NHK俳壇」選者。日本文藝家協会会員。句集『笑窪』『以為』『未来』『人寰』。PHOTO×HAIKU『街・物語』 俳句エッセイ『四季を見る』など。
西東三鬼賞受賞者・句
第1回 やさしさうな鱶に囲まれ昼寝覚 浜田 喜夫
第2回 航空母艦稲妻のたび横たわる 本多 脩
第3回 子を産みに身を隠しけり麦の秋 飯塚 風像
第4回 青空より跳ねて来たりし桜鯛 柿畑 文生
第5回 万緑やうつらうつらと赤子老い 竹村 悦子
第6回 窓よりも大きな太陽夏休み 中江 三青
第7回 くちなわをいじめ尽くせし女学校 高橋 修宏
第8回 海津見に沈みし菊や菊日和 岡本日出男
第9回 天の川隣人とくに恐ろしき 阪野美智子
第10回 銀河系の一点に坐し藷を食ふ 横田 昭子
第11回 プラトンの国を目指せり蟻の道 次井 義泰
第12回 頭の中に無数の定義木の実落つ 今井 豊
第13回 吾と言う構造物に春一番 秋山 青松
第14回 脳と言う宇宙の終わり麦の秋 柏木 晃
第15回 曲りたる時間の外へ蝸牛 花谷 清
第16回 ガソリンの臭いの中の立葵 谷川 すみれ
第17回 惑星間会議ひまはり選出す 安藤 辰彦
第18回 十二月みんなが通る自動ドア 石井 冴




